感性を磨く(top)
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デザイン四方山話/感性を磨く

今更ですが・・・・・普遍的道理について
 日々の暮らしのなかで私たちが、買い物をし、食べ、会話し、テレビを見、時にはバカな行動をし、眠るという、あらゆる行動の基準は、自らが納得し、言わば「良い」と思う判断に支えられています。この「良い」と判断している根拠は何なのでしょうか。
 人は、教育、情報、人間関係などから、日々受容と選択のシャワーを浴びています。そのシャワーによって培われる「基準」は、(個人的な感覚の違いとか、選択の間違いは別として)あらゆる分野に共通し、時代を問わず生き続けている真理値における「真」であることは間違いありません。それらは、単純に言ってしまえば、圧倒的な知識の集積がある人、研ぎ澄まされた感覚の持ち主、天才とそれに近い人々によって編み上げられ、さらに歴史のフィルターをくぐり抜けた無数の人々の混交する魂の公約数を「良い」と判断するようになるからです。
 私たち凡人は、あらゆる分野に通暁することは不可能です。しかし、あらゆる分野に共通して言える「道理」が存在することは理解しておかねばならないでしょう。
 例えば分野のひとつ、無から有を生みだそうとする「感性」について考えてみます。
 それはデザイナーであれ画家であれ、詩人、作家、作曲家・・・等々、視覚、聴覚を刺激する世界で新しい何かを生みだそうとする人々に共通し、時代を問わず「良い」とされる「芸術的感性」のことです。
 溢れる商品群に取り巻かれている今、生活を充実させてくれると思って手に入れたモノが、思い通りの充足感を与えてくれているでしょうか。どうも(自分のことを棚に上げますが)、すぐに飽きるか、または、飽きさせられているのではないか、と思うことがあります。そう思う理由のひとつに、マスコミ、とりわけ「テレビ」の影響が大きいと思ってしまいます。欲望はあおられ、つぎつぎと「流行」を生んでは「流行おくれ」にされ、刺激に対して鈍感にさせられているから浮気者になるのだと。
 しかし、外圧の完全なシャットアウトは無理としても、テレビは見なければ良いし、読みたくない本は読まなくても良いわけです。そうした自分で選択しているはずの日々の暮らしぶりを、あらためて見直してみると、結局、最終的には自分の感性の貧弱さにいきつきます。それゆえに取捨をくり返し、欲望が次々とすがたかたちを変え、際限なく襲ってくるという悲劇を繰り返しているのでしょう。
 豊かな感性の持ち主は、貧しい食事でもおいしいと感じ、他人から見てつまらない茶碗でも、掌中の玉のようにいとおしく使い古していく・・・そうした人々がいることも事実です。
 そこで、デザイナーとして生きてきた私は、果たして人々の生活を充実させるような商品を生みだしてきたのだろうか、と、過去を振り返り、あらためて、心を豊かにする感性はいかに磨かれるか。何が「良いモノ」なのか。そんな漠然とした光に向かう「生活をとりまくデザイン」の本質を覗いてみたいと思うのです。